実写VRを撮る。

実写VR撮影の現場からの奮闘の記録

第1回 VRと2D映像の違い「カメラ目線の効果」〜目が合うことで得られる自分の存在感〜

「VR映像とは何か?」

今回は基本的なことを考えていきます。
20年近くテレビの映像制作・技術に携わってきましたが2DとVRにおいて、表現手法、制作手法が共通することと異なることが様々あります。

まず、体験者の視点から、この2つのメディアの相違を確認していきます。
2Dの映像は、1つのスクリーンを複数の人で同時に視聴することができるのに対し、VRは個人ごとHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着し、頭を上下左右に動かし自分の意思で視点を変えることができるのが最も大きな違いです。
もちろん、PCモニター上でもマウスやカーソルでドラッグして動かしたり、スマホタブレットに映して平面上でジャイロコントロールに映像を追随させる手法もありますが、真の意味でのVRとはHMDを装着して「その世界に没入する」ことにあります。
HMDの中には上下左右360度に映像が広がっているので、見る人によって視点が変わり、全く同じコンテンツでも人によって受け取る情報が全く異なってくることもあるので、気づいて欲しいイベントを見逃さないよう如何に視点を誘導するのか、ストーリー展開が重要になってきます。
また、それを逆手に取って様々な方向にイベントを盛り込み、何度も体験することで謎が解けるような手法も考えられます。

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自分が存在している感覚
「VR認知症」という、認知症の人の生活を追体験する作品を作ってきて強く感じているのは、登場人物のカメラ目線の効果です。
2Dのカメラ目線とVRでのカメラ目線はその効果が全く違い、映画やテレビでカメラ目線の人物が映っていたとしてもそれはあくまで画面の向こうの世界であって、画面の大きさやカメラのズームといった人工的な環境の違いが介在しており、あくまで表現手法のひとつとしてのカメラ目線なのですが、VRの場合は登場人物がレンズを見つめると体験している自分が見つめられている感覚になります。
VRの中で「目が合う」のです。
登場人物の顔が目の前まで迫られると思わず体を仰け反らせてしまうほどにその視線や存在感は強く、笑顔で語りかけられればほっとして、怒りの表情で迫られれば思わず息が詰まり体に力が入っている自分に気がつきます。

それを踏まえ、VRにおけるカメラ目線という表現の可能性のひとつとして、映像の中の人物が自分に話しかけたり関わってくることで、映像上の人物の存在を感じるだけでなく、自分がそこに存在している感覚を強める効果があることに気がつきました。
観光やスポーツ、ライブなどの特別な場所を特別な視点で観られるVR作品は多々ありますが、この類のVR映像のつまらなさは、自分が常にほったらかしにされていることです。個人的な思い入れが強いコンテンツでない限り、1分を待たずに飽きてしまいます。
しかし、同じコンテンツでもVRの中で自分に語りかけてくる人物が居て、体験者に対し目を合わせ、自分が存在するものとして接してきたらどうでしょう。
映画の主人公がカメラ目線で自分に呼びかけてもそれはスクリーンの向こうの世界ですが、VRの中で自分の目を見て呼びかけられたらその人のことを見ないわけにはいきません。しかも自分が体を動かしてその人の方向を向くわけですから、体感的にも自分がその世界に存在していることを感じていることになります。
その世界の中に人が目を合わせ自分に関わってくることで体験している自分が『その世界に居る』という感覚を得ることができるのがVR特有の新しい感覚なのです。

VR認知症シリーズではその作用を最大限活かそうと模索を続けており、ある作品では駅のホームで独りになって心細くなっているときに「何かお困りですか?」と声をかけられた時の気持ちを再現していますが、体験した方から「声をかけられてホッとした」「助かった、という気持ちになった」など、物語の登場人物の心境を自分のものとして捉えている感想を多くいただきます。

 

疑似体験から体験へ

観光やライブなどの定点放置コンテンツがつまらないと述べましたが、そのコンテンツの中に誰かが一緒に居てくれて、映像の中でポイントを説明してくれたり、一緒に楽しんだりしてくれたら最後まで飽きずに見られる可能性があります。
よく、「VRで疑似体験する」と言いますが、私たちのプロジェクトではあえて「疑似」を使わず「VRで体験する」と表現しています。
VRの中の世界そのものは疑似的なものであるかもしれませんが、視聴した個人が感じる「ホッとした」気持ちや「楽しい」「驚いた」などのそれぞれの心に残ったものは疑似ではなく「体験したこと」と言えるのではないでしょうか。
実写VRの表現として、VRの世界の中に自分が存在している意味を感じさせることができるか、または、なぜこの体験をするべきなのかをどこまで訴えかけられるかが、コンテンツとしての価値を左右するものと思います。

次回は、カット割りや撮影現場におけるVRと2Dの違いを考えていきます。